【時系列】神田沙也加と母・松田聖子の不仲・絶縁・復縁を繰り返した確執履歴出来事まとめ

2021年12月21日アーティスト,ニュース記事松田聖子,神田沙也加

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【時系列】神田沙也加と母・松田聖子の不仲・絶縁・復縁を繰り返した確執履歴出来事まとめ

2021年12月19日にその若い命を落とすことになった神田沙也加さん。

圧倒的にその才能ある若い女性の早すぎる人生を嘆き悲しむ声が非常に多い中、それと同時に母親である松田聖子さんとの確執疑惑が再び話題となっている。

というのも、両親ふたりとも超有名芸能人であり、その2人の子供として生まれた神田沙也加さんは幼少期より様々な苦労があったようだ。

特に神田正輝さんと松田聖子さんが離婚した後は、松田聖子さんと神田沙也加さんに確執があり、長年絶縁や復縁を繰り返していると言われています。

ここでは、松田聖子さんと神田沙也加さんの親子仲がわかるエピソードや、なぜ長年確執があり絶縁や復縁を繰り返していると言われるのかをまとめていく。

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【時系列】神田沙也加と松田聖子の確執について

神田正輝さんと松田聖子さんという超有名人の間に生まれた神田沙也加さんは、有名人の二世故に様々な苦労があったようだ。

二人が離婚して以降、母親である松田聖子さんと神田沙也加さんには幼少期から様々な確執があるとされ、絶縁や復縁を繰り返していたとされる。

生まれた時から”芸能人の娘”として好奇の目で見られていたことで、いじめの被害にもあったようだが、ここでは二人の間でいざこざが耐えなかったのかをまとめていく。

特殊な環境で育った幼少期

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神田沙也加さんは、松田聖子さんと神田正輝さんの娘として1986年10月1日に誕生。

遡ること1年半ほど前の1985年6月、爽やかな二枚目俳優として人気だった神田正輝さんと、当時の日本人なら誰でも知る聖子ちゃんカットで有名なトップアイドルだった松田聖子さんが電撃結婚したことで当然世間は大盛りあがりであり”聖輝の結婚”と呼ばれました。

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ちなみに、二人の結婚式と披露宴の様子はテレビ放送され、平均視聴率は34.9%を記録するなど、現代のどのスポーツ中継や特番と比べても異様な視聴率であり、日本国民の3人に1人が見るという注目っぷりだ。今では到底考えられない出来事であり、時代が時代だとしても驚異的すぎるだろとは思う。

こんな感じなので、神田沙也加さんは幼少期は以下のような環境で育ったようだ。

  • パパラッチから逃れるための勉強
  • 林間学校に松田聖子のマネージャーが動向
  • 運動会では学校側が警備員を配備

このように有名な親のもとで生まれると、当然子供の動向も注目されるため、子供に危害が及ばないようにマネージャーや警備員が配備されるなど超絶厳重警戒態勢の中で学校行事に挑んだようだ。

今でもそうだが、当時も運動会の様子が翌日のワイドショーで放送されたり行事の度に学校側が警備員を配置して、「それって、私のせい?」と悩んだことも。

今でこそ「マスゴミ」とかめちゃくちゃ叩かれているのですが、当時からそのクソっぷりは変わらず…というか今よりも酷かったっぽいですね。

んで母親はトップアイドルである、コンサートチケットやサインを頼まれるなど、幼少期よりかなり厳しい環境にあったようだ。

祖母が母親代わりに

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ふたりとも絶頂期の中で結婚したため、仕事で子育てどころではない環境なので、神田沙也加さんの面倒を見ていたのは母方の祖母(松田聖子さんの母)である、女優の旭輝子さんだったようだ。

両親共働きであるため、核家族ではない家庭では祖母が子供の面倒を見ることはわりとある話だが、祖母の旭輝子さんからは愛情を注いでもらい時には厳しく育てられたようです。

実の母親である松田聖子さんからはまだ十分な愛情は受け取っていなかったようだが、その分祖母からもらったことで多少は救われたのではないかと思う。

両親が離婚

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神田正輝さんと松田聖子さんは1997年、神田沙也加さんが10歳の時に離婚。

親権は母親の松田聖子さんが持ったものの、やはり仕事は忙しく神田沙也加さんの世話はほぼ祖母頼みだったと言われている。

松田聖子の奔放な男関係に振り回されることも

ちなみに、両親の離婚理由は「松田聖子さんの不倫」と言われています。特に松田聖子さんはスキャンダルが多く、近藤真彦とのNYキス密会・英語教師のジェフ・バックダンサーのアランリードなど、現代ならSNSでボロクソに叩かれるようなことを結構やっていたようだ。

ちなみに、この時の近藤真彦さんと松田聖子さんの不倫疑惑が報じられる中、近藤真彦さんには当時中森明菜さんというこれはまた当時めちゃくちゃ人気のあったアイドルと付き合っていことでも話題に。

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このスクープを受けて、中森明菜さんは自殺未遂を図るなど当時こちらもすごく報道されたようだ。

そんなトップアイドルの不倫劇を演じる中、当時の神田沙也加さんは10歳であり、そういったことにも敏感な年でもあるため母親に対して相当複雑な思いを抱いていたことは想像に難くない。

突然アメリカ行きを迫られるが拒否

そんな母親が数多くスクープされた後、小学校卒業後は中高一貫の私立校へ進学する予定だった神田沙也加さん。

しかし、入学直前になり松田聖子さんが仕事関係でアメリカに拠点を移すことが決まりました。そこで、神田沙也加さんも松田聖子さんと共に渡米するかの選択に迫られることになります。

時を同じくして松田聖子さんは、歯科医の波多野浩之さんと2度目の結婚を予定していたようだが、再婚相手の波多野さんとは1998年5月にご結婚されていますが交際期間はなんと2ヶ月というスピード結婚。

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こんな感じで継父の事をよく知らない神田沙也加さんは、アメリカ行きを断り全寮制の学校へと進学することになるが、この選択が裏目に。

中学時代の壮絶ないじめを経験

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全寮制の中学校に入学した神田沙也加さんでしたが、自身が書いた著書によるとこのときに壮絶ないじめを受けたことが綴られている。

下着を盗まれて見世物にされ、夕食後に自室に戻ると布団がびしょ濡れで眠ることができなかった等到底許しがたいことをされたようだ。

そのいじめの原因となったのが両親は有名人であるという嫉妬心や母親の不倫スキャンダルの数々など、複合的要因が原因とされているが、こんな状況下でも寮を出て自宅に戻りたくても母親のスキャンダルのせいで自宅に戻ることはできず、仕方なく血縁関係のない親戚の家から通学することにしたようだ。

しかし、その後もいじめは止むことはなく結局松田聖子さんがいるアメリカに渡米することになる。

アメリカでの生活

アメリカでは現地の日本人学校に通うことになりましたが、英語をしゃべれず孤独な生活に。

また、私生活おいても松田聖子さんも仕事で家を空けることが多く、継父の波多野浩之さんとの生活が続きました。

神田沙也加さんからすれば、ほぼ赤の他人であり、そんな生活に嫌気が差して結局日本に帰国。

その後、千代田女学院中学校に転入し卒業。

芸能界デビュー

神田沙也加さんは1999年に芸能活動を開始。

2002年5月高校1年生の時にソニー・ミュージックエンタテインメントから、SAYAKAという名義で歌手デビューを果たし、「ever since」を発売。

この当時は、デビュー曲でありながら自分で作詞をしており、両親が有名なためその娘である神田沙也加さんも当時ワイドショーでよく取り上げられていた記憶があります。

 

しかし、松田聖子さんは神田沙也加さんの芸能界入りを反対していたようですが、デビューするとなると方針転換。

ただし、反対したのは自身も芸能人であり芸能界の厳しさを知り尽くしているからこそであり、2001年にデビューすると「やるとなったら、私が守っていかなくては」と話すなど母親の顔を見せていた。
ただ芸能関係者は「聖子さんは成功者として娘を本気で守りたいがために、時には沙也加さんがやりたいことに反対もしてきた」と話す。

→https://news.yahoo.co.jp/articles/6f6bbb634bddabc0fe3f91704750fe2592d80ec9

ちなみに、報道によると神田沙也加さん本人は当初か舞台やミュージカルでも活躍できる実力派女優を目指していたようですが、松田聖子という偉大な母親の娘ということで、デビュー当時はCMや映画、ドラマなどに出演することが多くなったようだ。

二世タレントなのでゴリ押しと叩かれる

【時系列】神田沙也加と母・松田聖子の不仲・絶縁・復縁を繰り返した確執履歴出来事まとめ

二世タレントあるあるだと思うのですが、親が有名だと子供がドラマに出てたりすると、意味もなく「ゴリ押し」とバッシングされるのは今でも変わらない。

当然神田沙也加さんも例外ではなく、2004年に宮本亞門さんが演出したミュージカル「INTO THE WOODS」のオーディションでは、赤ずきん役を勝ち取った神田沙也加さんなのですが、2月25日に映画『イントゥ・ザ・ウッズ』試写会に宣伝ナビゲーターとして神田沙也加と演出家の宮本亜門がゲスト登壇した際に、「私は有名人の娘だから受かったのですか?」と宮本さんに等と「嫌、絶対違う!オーディションで多くの人を見て、君が1番素晴らしかったからだ!」と返答。

ギタリストとの不倫がきっかけで勘当

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松田聖子さんと神田沙也加さんの溝ができたのは神田沙也加さんが12歳年上とのギタリストとの不倫だったとされる。
ギタリスト側は当時結婚しており離婚が成立すると神田沙也加は結婚すると言い出し、実際に婚姻届を準備したら大喧嘩に発展し親子の喧嘩は自宅で窓ガラスが割れるほどの大喧嘩だったそう。

こんな不倫などのトラブルがもとで、2005年の高校卒業を機に、松田聖子さんは神田沙也加さんを勘当し、個人事務所「ファンティック」との契約も解除しました。

当時はSAYAKA名義で活動していた神田沙也加さんですが、事務所はFAXで「高校卒業をひと区切りとし、この機会にゆっくりと時間をとっていろいろなことを勉強し、将来のことを考えたいという本人の意思により、SAYAKAとしての活動を停止させていただくことになりました」と語っており、ここから1年半芸能活動を休止することになる。

そして給料を止められ、自宅を出た神田沙也加さんは「将来自分が子どもを育てる時に賃金の尊さを教えたい」と考え、懐石料理店の仲居とダイニングバーのウエイトレスという2つのアルバイトを経験したようだ。

芸能界復帰へ

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一時は芸能界引退も考えた神田沙也加さんですが、芸能界の母と慕う大地真央の後押しで2006年に舞台復帰しています。

しかし、神田沙也加さんは当時は舞台の共演者やミュージシャンと付き合っては、すぐに別れるということを繰り返しており、松田聖子さんに彼氏を紹介しても毎回反対されていたそうです。

ただし、2011年頃に付き合っていた田代万里生さんだけは家柄も経歴も申し分なく、松田聖子さんも認めていたのだとか。

2011年のNHK紅白歌合戦で嘘泣き疑惑

※参考までの共演した際の映像です。

なお、震災が起こった2011年4月には親子でバラエティ番組に出演し、同年12月にはNHK紅白歌合戦で坂本九さんの代表曲「上を向いて歩こう」で共演も果たしました。

歌い終えた後に松田聖子さんが涙する場面もあったが、このときも母娘関係は微妙であり、実際にこの放送を見た視聴者からは「これ嘘泣きじゃね?」と今でも言われている。

実際に、文春の記事でも「お互いに気を使い、腫れ物を扱うようなギクシャクした関係が続いていました。紅白で聖子さんが泣いたのを見て多くのスタッフが呆れ返っていましたが、沙也加も『ママはウソ泣きしていた』と話していた」と語ってる。

また、2014年の紅白歌合戦では「アナと雪の女王」のヒロインの一人である「アナ」役の声優でブレイクしていた神田沙也加さんがニューヨークで歌を披露。NHKホールにいた松田聖子さんが映像を見ながら涙を流されているのがアップされました。しかし、このときも「これ嘘泣きじゃね?」と言われている。

松田聖子が突然の事務所独立

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二人の関係に亀裂が入ったのは2014年の松田聖子さんの事務所独立でした。

ファンティックは89年に聖子さんがサンミュージックから独立した後に立ち上げた個人事務所でもともとは亡くなった聖子さんのお父さんが代表を務めていました。
その後はお兄さんが社長に就任し、30年近くに渡って家族で切り盛りしてきました

松田聖子さんは一方的に家族を切り捨て、元マネジャーと行動を共にし独立を宣言、その元マネージャーが元恋人だったことも判明。

■参照→https://www.news-postseven.com/

松田聖子さんはこの元マネージャーを自宅に招き入れ、神田沙也加さんとも同居生活を送っていたことがあったそうだが、このときも松田聖子さんは結婚しており、この元マネージャーの存在が原因で旦那さんとの関係もギクシャクしていったそうです。

一時期は家族の説得により元マネージャーとの関係を断ち切りますが、結局元マネージャーと新しい事務所を作ることになったため松田聖子さんの実の母親が激怒。

「裁判沙汰になりかけるほど揉めに揉め、一子さんは『あんなワガママな子は知らない』と怒り心頭。
一時期、聖子さんは実の母親とも絶縁状態にあったんです。
赤の他人を引き入れて勝手な行動を取る聖子さんに家族は不信感を抱き、彼女のお兄さんまでもが距離を置くようになりました」

→https://bunshun.jp/denshiban/articles/b11

ちなみに、この当時アナ雪で各方面に引っ張りだこだった神田沙也加さんは母親の話はNGと話していたようだ。

村田充との結婚・離婚

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2017年に、神田沙也加さんは村田充さんと結婚。父親の神田正輝さんとの関係は良好で、3人で映る写真も当時インスタにアップされていました。

しかし、この時も母親の松田聖子さんは無名の俳優だったからという理由で結婚に大反対していたようだ。

実際に、松田聖子さんは結婚の際して祝福のコメントをせず、神田沙也加さんも「お母さん(松田)のことは絶対に聞かないでください」と質問NGを明言し、結婚式も披露パーティにも松田聖子さんは姿を表さないなど、かなり険悪なムードだったと伺える。

結婚に反対する報復

神田沙也加さんは、結婚と同時期の2017年に個人事務所へ移籍。週刊文春の記事によると、上記の結婚に対する松田聖子さんの報復とも言われています。

「沙也加さん側に聖子さんから『ファンティックの名前を使わないで!』と身勝手なクレームが入ったのです。
沙也加さんが結婚式を挙げたのは17年5月。
やむなく沙也加さん側が新会社『ローブ』を設立したのも同時期で、明らかに結婚に反対する聖子さんの“横槍”でした」(同前)

→https://bunshun.jp/articles/-/18635

さらに、それまで使っていた成城のオフィスを明け渡すよう要求し、新会社『ローブ』は駅を挟んだ反対側への転居を余儀なくされました。

ちなみに、『ローブ』の社長には松田聖子の兄が就任。その後味方だと思っていた祖母が松田聖子側に寝返ったことでもショックを受けたようだ。

「驚いたのは、ほどなくして一子さんが聖子さん側についたことです。一子さんは長年『ファンティック』の取締役に名を連ねていたが、昨年3月に役員を辞任し、なぜか聖子さんと行動を共にするようになったのです。
幼い頃から、忙しい両親に代わって祖母に育てられた沙也加さんは、一子さんの仕打ちにショックを受け、今も連絡を絶っています」

→https://bunshun.jp/articles/-/18635

一時期松田聖子さんが家族を捨てて、勝手に事務所を作ったことで松田聖子さんと祖母は絶縁状態だったのにも関わらず、松田聖子さん側に謎の寝返りをキメたことで松田聖子さんと祖母・神田沙也加さんと松田聖子さんの兄という2つの勢力に分断された。

遺産相続問題

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松田聖子さんは、予てより身内しか信用せずスタッフには久留米から呼び寄せた親戚や地元の関係者のみ採用していたようだ。

築きあげた財産で次々とマンションや土地を買い進めそれらを母や兄の名義に振り分けて一家で財産を守ってきたようで、松田聖子さん自身が暮らす成城の大豪邸をはじめ、兄夫婦が暮らす邸宅、関連会社が拠点を置く不動産の総額は10億円をくだらないとのこと。

そんな莫大な資産を引き継ぐのは一人娘の神田沙也加さんなので、松田聖子さんが娘の交際相手に厳しかったのは人生を賭けて築き上げた財産を分け与えても大丈夫なのかという親なりの心配があってのことのようだ。

事件を聞いて憔悴している

そして、神田沙也加さんは12月18日に札幌のホテルから転落して、その短い生涯を終えることになるのですが、事件当時ディナーショーを開いていた松田聖子さんはディナーショー終了後に事件のことを知り、憔悴しているようだ。

この後予定されていた東京・大阪のディナーショーをすべて中止し、所属事務所も「いまだこの現実を受け止めることができない状態」とのこと。

なんか確執が色々報道されたが、やはり実の娘ということで、自分よりも先に先立たれたのは相当精神にきているのは想像に難くない。

来年あたり何かしら発表があると思うが、母親として何を語るのか?今はそっとしておきましょう。

◆主な相談窓口

・いのちの電話

ナビダイヤル=0570・783・556(午前10時~午後10時)

フリーダイヤル=0120・783・556(午後4時~同9時。毎月10日は午前8時~11日午前8時)

・日本いのちの電話連盟 https://www.inochinodenwa.org/

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Posted by メソマ@管理人